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常泉寺 沿革



 當寺の宗旨は、禅宗の中の曹洞宗であり、本山は、福井県の永平寺、神奈川県の総持寺です。
創建は、1588年頃(天正十六年〉と言われています。開山は「朝厳存夙大和尚」(ちょうがんそんしゅくだいおしょう)で、藤沢市遠藤にある宝泉寺六世と言われています。
開基の関水和泉は、福田開拓九人衆の一人、広田刑部助の後継者と言われ、天正十六年に没し、法名を「清流常泉禅定門」と称したことから寺号になったと伝えられています。

 御本尊様は木造の聖観世音菩薩です。制作された年代は江戸時代であろうと伝えられています。今の本堂は昭和七年に落慶したものです。それ以前の本堂は茅葺きの壮大な建物だったそうですが、大正十二年の関東大震災の際に崩壊しました。その時、屋根がそのままの形で地上に落ち、垂木に支えられて御本尊様と須弥壇は無事だったといわれています。

 當寺には、大変貴重な百萬塔の一基が伝えられています。この百萬塔は称徳天皇(第四十八代、在位、七六四〜七七○、奈良時代後期)が国家の安泰を祈って南都十大寺に十万基づつ寄進した木製の三重小塔で、七六四年の恵美押勝の乱の死者供養の為、七七○年に完成したと言われています。ろくろ細工で、胡粉などで彩色されていたそうです。當寺に伝えられている塔は明治四十一年、法隆寺において伽藍維持の為、浄財の喜捨を求めた折りにその記念として授けられたそうです。この塔の中に納められているお経は「無垢浄光陀羅尼経」です。この経文の印刷は銅板または木板で刷られたと言われ、日本最古の印刷物で、世界でも最古の部類で国宝級だと言われています。また當寺には、大和市指定重要文化財である旧中根家の墓地があります。

 山門をくぐるとすぐ左に明治時代に新設された公立小学校『桃蹊学舎』の碑あります。

 また當寺は「かながわの花の名所百選」に指定され、参道の両側と庭園の三椏(みつまた)の花は赤・黄・白色と交互に咲き、 香りもよく、全国唯一の景観と言われています。その他境内は四季おりおりに花木、山野草が咲いています。 樹木は樹齢三百年以上と言われているイヌツゲ(大和市文化財〉カヤ、モチ、アセビなどがあります。

 ほかには樹齢650年と言われている五葉松があります。
この木は、長崎の山に自生していた五葉松を、長崎の久保田昭緑園と愛知の大樹園鈴木俊則が共同管理していました。 その後、大樹園に移し、平成12年に再び長崎へ移植しました。 平成17年に大樹園に修行していた宝樹園椎野健太郎園主と御縁があり海路で當山に移植しました。
650年前というと、西暦1366年正平21年で、正平は南北朝時代の元号で、南朝方にて使用された。室町幕府時代です。
この度、江戸時代の古歌に「長き夜の 遠の眠りの みな目ざめ 波乗り船の 音のよきかな」を知り、五葉松を「波乗り船」と 命名しました。
 数多の運命を乗り越えて、當山を安住の地として頂いた。
風を受け帆を大きく広げ、大海原の波を悠々と乗り越える音が聞こえるようです。
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 「河童」は當山に浄水が少し湧き出していますので「水の神さま」としておまつりをしています。代表的な物は、福の神・かっぱ七福神、河童大明神、河童智くんなどです。ユーモラスな姿は、何となく人間の理想像であると思います。

「門入りてかくありたしと花浄土」文 雄

御参拝の方々の御清栄をお祈り申し上げます。

清流山 常泉寺  住 職  合掌


常泉寺 沿革
中根家について
桃蹊学舎


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